3月11日(金)14:47
私は前日の大阪でのイベントの仕事からの帰りで14:00大阪伊丹発15:05羽田着の飛行機の中。
羽田の上空から予定時間に着陸できないでおよそ15分くらい旋回後着陸。その後ほぼ40~50分空港に
降りることはできなくて・・・
その間に機長からの説明で「仙台に大きな地震があったので羽田の滑走路の点検中です」
機内のテレビには音声はありませんが、「LIVE仙台市内」として目を疑うような津波の様子がうつってて
石巻で仕事をしている長男の事がとても心配になりました。
やっと空港に降りたんですが、東京もかなりの被害があったとのことで、家族との連絡もつかない。
結局、東京にいる家族とはなんとか連絡が取れたんですが、石巻は全くもって途絶えたまま。
私も空港にお店のスタッフに(大崎から羽田まで4時間。羽田から大崎まで3時間かかり)迎えに来てもらい
自宅に戻ったのは朝方の3時半。
翌日も石巻は全く連絡つかず。
仙台の同業者さんにメールをしたら家族、従業員にはけがはなかったけど、すべてグチャグチャだそうです。
翌日(13日)の夕方になると、私たち家族も連絡の来ない事にだんだん煮詰まって、ホントに最悪の事態も頭によぎってきました。
二男(24)はgoogleの人を探す・・・をはじめ、必死で情報を集めている。
ホントに辛い時間が過ぎていき、20:30くらいに学校の関係者から「無事です。みんなで学校で避難してます。全く電話が使えないので僕が電話の出来るところに移動して連絡しています」
と。「生きてる」だけ何度も確認したのは覚えているけど他の事は聞くことも忘れてしまいました。
その後22:00くらいに(docomoは繋がらないので)他人のAUを借りてメールが来ました。
「こんばんは。久しぶり。被災地の邦宏です。AUだけはメールを送信できるらしいので、送信しました。伝えたい事が2つあります。
とりあえず、生きてます。状況は厳しいけど、生きてますから。細かいことは連絡が取れるようになったらまた連絡します。
もう一つ。絶対にこちらに来ないでください。ライフラインは全部止まってます。来ても難民の仲間に入るだけだから、絶対きちゃだめ。
そのうち 東京に戻るから、そのとき話すね。では。」
ホッとして興奮してその日も眠れなかった。でもあれから毎日、もうそろそろ連絡来るかな~
と思って書き込みしてたら・・・
今やっと電話(携帯)ありました~18日(21:50)
宮城水産高校の校舎屋上から(ここからでないと電波が届かない)。
学校の敷地が50~60㎝ 地盤沈下しており、満潮のときはいつも下は海。
物資や灯油もあって大丈夫だから。
まだまだ大変だけど月末位には東京に一度戻る予定。」と。
声をきいてちょっと安心しました。が、現地では悲しい辛い出来事がたくさん起こっています。
一日も早い復興と、笑顔が戻ることを願ってやみません。
そして心配してくれた方々にもお礼申し上げます。